下の図で、右上(インド中央部)の Lystrosaurus と 左下(南米中央部)にある Cynognathus は 中生代の初頭、トリアス紀(三畳紀)の前期に栄えた単弓類(哺乳類の祖先)です。・・・サウルスという名前が付いていますが、恐竜や爬虫類ではありません。以下はWikipedia「プレートテクトニクス」から(以下の図の説明文を)引用:
「ゴンドワナ大陸と古生物の化石の分布の関係 Cynognathus(橙)とLystrosaurus(茶)は三畳紀に分布した陸棲の単弓類。Cynognathus は体長3mに達した。Mesosaurus(青)は淡水性の爬虫類。Glossopteris(緑)はシダ類であり、南半球すべてで化石が見つかっていることから、南半球の大陸が一続きであったことを示唆する。以上の互いに補強しあう証拠から現在の大陸が図中のように結合してゴンドワナ大陸を形成していたという仮定には妥当性がある。」
イギリス北部・スコットランドに Old Red Sandstone という 赤い砂岩があり、その赤い色や砂の形から、出来た当時(デボン紀、砂岩が地下に埋もれて固まり始まる直前、その上に載って地表を覆っていた)砂が、大きな大陸の内陸部の乾燥地帯で砂漠を形成していたために、砂の表面に付いていた鉄分が酸化して赤い色になったのだとずっと考えられていました。ところがこの赤い砂岩、同時代の物で、しかも砂漠起源のものが北欧の スカンジナビア半島 や、果ては大西洋を越えて、カナダ・ニューファンドランド島~アメリカ東岸のアパラチア山脈にまで分布するのです(以下の図)。この事は、デボン紀の頃は北米とユーラシア大陸が一つの大きな大陸(ローラシア大陸:超大陸パンゲアが上図のゴンドワナ大陸と別れた物)を形成していて、それが大西洋の形成などによって寸断され、大きく東西へ分かれて移動していった、という証拠なのです。
同じ岩石の分布はプレートテクトニクスでしか説明できませんが、当時の学者の中には「単なる偶然」で片づけてしまった大勢いたでしょう。では どうして そういう横柄な態度を取ることが出来たのか、というと、複数の陸地への単一生物種の分布は、プレートテクトニクスでなくても説明できる場合が多く、これらの説明も完全な間違いではないからです。
科学(説)に限らず物事というのは白か黒かではなく、どれもグレーゾーンなのです。そして各説ともに全てを説明できるわけではないので、同じグレーゾーンでも 白に近い説もあれば、欠点が多くて黒に近い説もある。当時、単一生物種の複数陸地への分布は主に以下の4つの学説を使って説明されていました。
まずはRafting(下の図).
Raftはイカダの意味です。小さな漂流物に生物が載っていて、それが次の陸地への漂着前だけでなく、新陸地で繁殖した、という考えです。虫などの小動物や植物の種、フジツボなどの固着貝はRaftingにより ある程度 拡散する事は知られていますが、前述の三畳紀の 大型動物(単弓類)など、Raftingによる説明は難しいです。
ちなみに、蜘蛛(クモ)など、小さい物はお尻から糸を出し、風に乗って長距離を浮遊することが知られていますが、飛行機などで上空10km位の所を飛んで空気中の塵などを採取すると、こういった小型の蜘蛛がよく採取されるそうです。ですから、微小な生物ほど、Rafting で伝播できる確率が高いと言えると思います。
一方、ヤシの実など、自分自身が漂流し、海流によって運ばれ、新陸地で芽を出す事が知られています。3.11の津波の際には東北の桟橋が1年半後にアメリカ西岸に漂着した、という話は皆さんも覚えて居ると思います。ですから、Rafting自体は間違いではないですし、ヤシの木など、海を越えた生物の分布の一部も Raftingによって説明することが出来ます。ただ、ヴェゲナーが例として挙げた単弓類は体長2~3m の 大型種ですから、Raftingによって説明するのは非常に難しいのです。遠く離れた複数の大陸に海流に乗って行くには、大型のイカダと食料・水の他、南極付近など生物が生きるのが厳しい条件下を長期間かけて通過しなくては行けませんからね。漂着できるのも運ですし、それが生きたまま複数大陸に届くとなると、限りなく極小な確率になってしまいます。ですから、この説は限りなく黒(ハズレ)に近い説、と言えます。
そこで、当時の(ウェゲナーの大陸移動説に反対だった学者の多くが唱えていたのが)以下の陸橋説 (Isthmian Links) です。大陸の間が細い陸地で繋がっており、そこを動物が行き来していた、という考えです。
陸地に近い島だと、江の島 や 函館など、陸繋島(りくけいとう)というのがあって、少なくとも潮が引いた時には数百メートル~1キロ位の距離を動物どころか人間も移動できる、というのはお馴染みだと思います。でも、これを大西洋を隔てた南北アメリカ 対 ユーラシア・アフリカ大陸に同時分布する大型動物(先述の単級類など)に当てはめる、というのは無理があります。ですから、この説も限りなく黒(ハズレ)に近いと言えます。
ちなみに、当時の陸橋説の支持者たちはどうしてそんな馬鹿げた(?)説を信じていたのか、というと、「昔は陸橋があったが、その後 沈降したり、風雨・波浪で侵食されるなどして、消えてしまった。」という詭弁を使っていた(あるいは、詭弁に騙されていた、自分が詭弁に陥っている事に気付いていなかった)のです。残念ながら、「ある物が存在しない。」という事は、論理的に証明する事が出来ない のです。ですから、今でも「昔はあったが、今は浸食・破壊されるなどして存在しなくなった。」とか、もっと酷くなると、「直接の証拠がないからといって、ある物が存在しないという証拠にはならない。」という詭弁に(詐欺師からエセ弁護士、果ては悪い政治家にまで)使われています。科学としては、一番使っては行けない説明(詭弁・ニセ論法)です。
しかし、この説も(中生代初期の大西洋を挟んだ単弓類の分布ではなく)生物の大陸間移動の一般手段として考えた場合には、完全な間違いではなく、先週学んだ人類のアフリカ大陸からユーラシア大陸へ、そして今から1万5千年位前から起こった ユーラシア大陸から北米大陸への人類の進出は、この陸橋説で大半の説明が付きます(下の図の左半分)。最終氷期には今よりも海面が世界中で 約 120 m も低かったので、今で言うベーリング海の海底が当時は陸地であり、ユーラシア大陸と北米大陸が繋がっていたのです。このため、人類も動物も割と自由に二大陸間を移動できました。
ただ、当時、北極・アイスランド・グリーンランド・北欧を巨大な氷床が覆っていたために、大西洋に出っ張った氷壁沿いに、ヨーロッパから北米まで、人類がイカダなどで移動出来たという説も有力であり、矢じりなどの石器やDNAを調べると、アメリカ北東部から発掘された約2万6千年前~1万7千年前のアメリカ先住民は アジア人よりもヨーロッパ人に近いのだそうです。
http://www.archeonews.net/2012/03/blog-post_12.html
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8560/?ST=m_news
そこで、今では「陸橋となったベーリング海経由でやってきたアジア人と、ヨーロッパから海の氷壁沿いにやってきたヨーロッパ人との混血がアメリカ東部など一部で進み、北米大陸・南米大陸の原住民の祖先となった。」というのが 最も支持されています。ただし、以下のような反対派もいます。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8899/?ST=m_news
この陸橋説ですが、 先週学んだように、今から1~2万年位前まで、当時海面の高さが低かったために陸続きとなっていた日本にトナカイや(マンモスに似た)ナウマンゾウ が大陸からやってきていた事など説明できますし(上の図の右下)、太古に限らず、今でも北米大陸と南米大陸の境界を越えて分布する生物種の伝播に関して言えば、パナマ地峡が陸橋に相当します(上の図の右上)。
次に、海を越えた生物伝播の手段として考えるべき事が、(Rafting, 陸橋などに比べ、比較的短い距離を泳ぐなどして)多数の島々へ段階的に少しずつ移動して行った、という考え方です(下の図)。東南アジアなど、現在でも島々が多く存在し、単一生物種が海を越えて多くの島に分布している事が良くあります。ただ、最終氷期など、氷河期には海面が低下して、これらの島々の多くも陸続きになっていた物が多いので、島から島への(Rafting以外での)段階的な移動を考えなくても良い場合も多いのです。ただし、この 図のように、馬がジャンプして渡るようなことは出来ませんが・・・馬でも少しは泳げるでしょうが、波のない日の瀬戸内海など、島々の密集地帯ならともかく、外洋で距離も長いと 人間や犬でも溺れる確率の方が高いでしょう。ましてや大型動物(ウェゲナーが例示した単弓類など)がそうやって大陸間を移動するというのは無理です。大陸間に当時多数の島々が(陸橋説のように)存在した、という証拠もありませんし。ですから、これも限りなく黒(ハズレ)に近い説と言えます。
ただし、この多数の島々の存在(この島々間の段階的な伝播説を唱えていた大陸移動説反対派は、「今は消失してしまった。」と詭弁を使っていたのでしょうが)、小型生物だと外洋の島々間をRaftingなどで移動できますし、陸上動物でも ある程度泳げる生物なら、短距離(数キロ)の移動なら不可能ではないでしょう。また、渡り鳥など、島から島へ長距離を今でも移動しています。これが人間の場合だと、イカダなどの移動手段があれば良いわけです。こうやって日本列島にも(朝鮮半島や北方を経由して)大陸から人類がやってきただけではなく、南方からも人類がやって来たのです。縄文人も、今の日本人も殆どがそういういろんな所からやってきた人たちの混血ですが、最近のDNAの検査によると、縄文人は 東南アジアなど、熱帯の島々の血が濃かったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA
これが弥生人になると、中国東南部や朝鮮半島など、大陸からの血が濃かったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA
この島から島への(人類を含めた)陸棲動物の伝播ですが、一番良い例は多分、過去数千年の、ユーラシア大陸から太平洋への人類の移動でしょう(以下の図)。彼らは高度な海上移動手段を発達させ、イカだではなく カヌー(帆付きの物も含む)を発明し、島から島へと 太平洋中に広がって行きます。ニュージーランドのマオリ族の文化とハワイの土着文化が似ているのも、こうしてルーツが繋がっているためなのです。
そうやって登場したのが 大陸移動説(Continental Drift)なのです。Driftは「漂流する・漂う」の意味です。志村けん の居たドリフターズ(Drifters, 通称ドリフ)は「漂流者」の意味です。
この Continental Drift のアイデア・着眼点は、ウェゲナーがグリーンランド探検に(気象学者として)何度も参加していなければ生まれなかっただろう、と言われています。
彼は グリーンランドで海上で二つに割れた氷が段々離れて行ったり、逆に寄せ集まって凸凹が埋まるようにくっ付き合うのを眺めながら氷の海上やグリーンランドの氷原を進んでいったのです。
そうやって、ある日、自分の書斎で地図を観ていたら、大西洋を挟んで、南北アメリカとアフリカ・ヨーロッパの海岸線がピッタリ合致する事に気付くのです。
高校の地学・地理の教科書、中学の理科や小中学生向けの伝記には、「ヴェゲナーが地図を観て大陸移動説を思い付く。」と書いてある物が殆どですが、それは最終的な結果論であり、実際はグリーンランド探検を通じ、氷を含めた自然観察によって浮遊物の挙動、氷などの物性に敏感であり、5感で立体的に感じ、氷などの浮遊物の発生から終焉まで、時間軸に沿って(現実的に)頭の中で想像する事が出来るようになっていたのです。このように、科学のアイデアというのは、
(1)ある日突然閃いた(ひらめいた)、と言われている物でも、実際は潜在意識の水面下で徐々に作り上げられている、それが水面下で大きな泡のように大きくなり、ある日突然、顕在意識上に浮上してくる(ひらめきとして現れる)。その瞬間が、ウェゲナーの場合、大西洋の地図を観た時だったのです。似たような話は、アルキメデスの法則を入浴中に発見した古代ギリシャのアルキメデスから、リンゴが落ちるのを観て万有引力を発見したニュートンの話、エレベーターに乗って相対性理論が閃いたアインシュタインの話までありますが(ニュートンについては逸話であるいう人が多いですが)、要は、アイデアという物は欲しい時には閃かない。実は潜在化・水底で泡のように成長しているので、諦めず考えて居れば、研究・レポートでなくとも、作曲でも小説でも漫画のアイデアであろうと、大きなアイデアが成長し、何かのきっかけて顕在意識下に現れるのです。
(2)凄いアイデアというのは、自分の研究とは全くかけ離れた物事をしている時や、リラックスしている時に生まれる(あるいは萌芽する、温められる)のです。ヴェゲナーの場合は氷の観察を楽しんでいた事、アルキメデスはお風呂でリラックスしていた時、アインシュタインは近所の時計台のエレベーターで仕事が終わって帰る途中、エレベーターに乗ってホッとして、一人ボーっとしていた時に(潜在化の泡がリラックスした状況下で解放され、浮上して)突然閃いたのです。ですから研究・作曲、お笑い芸人のネタ帳に限らず、メモ帳とペンを持ち歩く事をお勧めします。レポート課題のアイデアや宿題の答え・ヒントなども、こういった時に閃く物ですし、有名な作家、売れっ子タレント、商品開発のアイデアマン、起業家、研究者など、常にメモとペンを持ち歩く人が多いです。
下のアニメ映画の脚本家は、多分ウェゲナーの伝記でも読んでいて、アイデアが閃いたのでしょうね。タイトルもそのまま Continental Drift ですし、氷の割れ方から 大陸移動説のアイデアが生まれたという下りも、そのまま使って(パクって?)居ます。
そのヴェゲナーさんですが、大陸移動説が学界で認められなくても諦める事なく、次々と新版を出していきます(本業は気象学者で、その分野では大成功を納め、今でも『熱対流理論』など、気象学の教科書には必ず登場する方です)。ただ、40歳の時、本業の気象学の仕事のため、またグリーンランドへ行くのですが、現地で 長引く悪天候の下、過労もあってか 心臓発作を起こしてしまい、同行していた先住民の助手に埋められ、その助手も遭難してしまいます。下のスライドが彼ら2人の写真。ウェゲナーは今でもドイツの英雄で、記念切手も何度か出て居ます。
「歴史上の人や有名人と二人きりで会話ができるとしたら、誰と話しますか?」という質問をアメリカ人にすると、老若男女ともに「アインシュタイン博士」と答える人がダントツに多いらしいですが、私は迷わず ヴェゲナーと答えます。彼の科学に対する姿勢、探求心、仲間や現地の助手たちからも慕われていた人柄などなど。惜しい人物を40歳で失くしてしまったと思います。
ヴェゲナーの大陸移動説が認められなかった最大の理由は、大陸が移動する原動力を上手く説明できなかったからだと言われています。彼自身、マントル対流に着目していたのですが、大陸が海底を滑って移動するようなイメージで考えて居たらしく(つまり、ウェゲナーの説の段階では、正解・白に近いとはいえ、正解として認められるには まだまだ白には程遠いグレーゾーンで)、マントル対流をきちんと理論に取り込む前に若くして亡くなってしまったようです。
その後 世界大戦を挟んで、再び地球科学の研究が盛んになると、ウェゲナーの主張する「大陸が移動した」という部分は正解(白)であった、と解ってきます。その根拠となる発見の1つが大西洋の中央海嶺の左右対称な地形です(以下のスライド)。
さらに、1960年代になると、海底で海嶺に対して左右対称な縞磁気模様が発見され、これが「中央海嶺での新しい海洋プレートの形成と左右への拡大」なしでは説明できない事から、プレートテクトニクスが理論として確立され、現在では(グレーゾーンの中でも)かなり白(正解)に近い、あるいは限りなく白に近い理論として認められています。どうして白(完璧なる正解)ではないのか、というと、後述するように、まだ完全に解っていない事(日本列島の形成過程など)が残っていますし、後述のプルームの概念が加わる事により(プルームテクトニクスとして)プレートテクトニクスは今でも「完全なる白」を目指して日夜研究が行われているのです。地球科学でなくとも、どの学問でも そうですよ。
プレートテクトニクス説の初期段階と中央海嶺・海底縞磁気模様の発見 と それらが形成されるメカニズムについて、以下のビデオの前半(初めから4分50秒あたりまで)で詳しく説明されています。ヴェゲナーも登場します。
その後で、以下のWikipediaからの抜粋(図とその説明)のページを読むと更に理解が深まると思います。
また、地球の磁場(N極S極)が数十万年に1度逆転してしまうのは なぜか?と気になる方、「理由が解らないと縞磁気模様なんて理解できない!」という方は、(地学概論Bの範囲ですが)以下のビデオの17:39~20:10(計 2分31秒)を観ると 理科の苦手な人でも 良く解ります。
3種のプレート境界の違いについては、現地の様子の動画をふんだんに用い、NHK Eテレ 高校講座・地学基礎「 第21回 第3編 地球 プレート境界 」で 解りやすく紹介されていますので、先に見ておくと以下の関連スライドと説明文の理解が楽になります。登場する景色が綺麗なので(観光地が多いので)、休憩も兼ねて お茶でも飲みながら御覧になる事をお勧めします。
トランスフォーム断層は日本にはないので、実感が湧かない、と言うか 理解しづらいのではないか、と思います。まずは以下の短い動画をみてイメージをつかんでください。
上の動画は中央海嶺を分断するトランスフォーム断層ですが、米国西岸の サンアンドレアス断層など、陸上で観られる物もあります。白亜紀の頃まで、(今で言う)太平洋の真ん中にも(現在の大西洋のように、多数のトランスフォーム断層で分断された、背骨のような)中央海嶺があったのですが、北米西岸沿いに急速なプレートの沈み込み帯が形成されたために、この中央海嶺がだんだん東の方へ移動し(したがって、もはや『中央』海嶺ではなくなったので、単に海嶺と読んだ方が適切です)、その 北東部の一部が北米プレートの下に潜り込んでしまいます(下のスライドを参照)。北米プレートの下に潜り込んだ(多数のトランスフォーム断層で分断された)海嶺のうち、北北西部がカナダ西岸・バンクーバー市あたりから米国カリフォルニア州の北部沖にまで現在も海底に顔を出しています(下のスライド中の右図)。また、この海嶺系のうち、南南東部がメキシコのカリフォルニア湾の海底に顔を出しています(下のスライド中の右図)。この海嶺系は(多数のトランスフォーム断層で分断後、北米プレートの下に沈み込んでし大分経った)現在でも、海底だろうと北米プレートの下だろうと、 寸断された海嶺の各部が両側への拡大を続けており、それらに伴うトランスフォーム断層も横ずれ運動を行っています。このため、北米プレートの下に潜り込んだトランスフォーム断層 数個 が上に載っている北米プレートも巻き込み、横にずれる運動が起こり、巨大な横ずれ断層である 「サンアンドレアス断層」 が出来たのです。
この海嶺の沈み込みとトランスフォーム断層の発達史を時系列の三段階で示したのが以下のスライドです。
スライド中の左図は今から5600万年前(古第三紀の前半、始新世の始まり頃)の 北東太平洋~北米大陸の様子です。現在の大西洋のように(ほぼ中央)海嶺がありますね。これが白亜紀以来、盛んに海洋プレートを引きずり込んでいた北米西岸の沈み込み帯(Subduction zone)へと移動して行きます。ちなみに、この海嶺の西側は太平洋プレートで、今でも太平洋に広く分布しますが、海嶺の東側はファラロンプレート(Farallon Plate)と呼ばれる古いプレートで、現在の太平洋にはその端、北米の下に潜り込んだ部分の北北西部に当たる フアンデフカプレート(Juan de Fuca Plate)と、南南東部に当たる ココスプレート(Cocos Plate)しか見えていません。
スライド中の中央の図は今から3700万年前(古第三紀の後半、始新世の終わり頃)の 北東太平洋~北米大陸の様子です。この頃に(多数のフォーム断層で分断されて)不連続な中央海嶺の一部が長いトランスフォーム断層と一緒に北米プレート(当時の北米大陸)の下に沈み込み始めます。その後、更に多くの(分断された1つ1つの)海嶺(拡大部)と それらに付随するトランフォーム断層が北米プレートの下に沈み込み、北米大陸の西岸は、北米プレートの下に潜り込んだ トランスフォーム断層による横ずれ運動の卓越する地域では横ずれ運動が、(分断された1つ1つの)海嶺による拡大運動が卓越する地域では北米大陸の一部が大地溝帯のように分断され、横に広がって行きます。そうやって
スライド中の右図(現在の様子)に見られるサンアンドレアス断層(San Andreas Fault: 横ずれ断層の地域)や メキシコ西岸に発達するカリフォルニア湾(地溝帯が拡大し、海が侵入してきた地域。海底には分断された海嶺が見られる)が出来たのです。ここで注意してほしいのは、サンアンドレアス断層を含む一連の(不連続)海嶺~トランスフォーム断層系の西側が太平洋プレートであるという事です。したがって、サンアンドレアス断層は単なる(横ずれ)断層ではなく、太平洋プレートと北米プレートの間にある、(トランスフォーム型)プレート境界なのです。
下の写真がメキシコ西岸のカリフォルニア湾(Gulf of California)。海底にはまだ海嶺が生きており、熱水(チムニー)などの火山活動を行いながら、拡大しています。この湾の西側にある細長い陸地(カリフォルニア半島、別名バハ半島、Baja Penninsula)は古第三紀までは北米大陸(北米プレート)の一部だったのですが、その後先述の湾内の海嶺の拡大により、(それに加えてトランスフォーム断層による横ずれもあるので)北西へ年々移動し、現在は太平洋プレートの上に(海嶺の西側に)削ぎ取られた北米大陸(北米プレート)の細片が乗っかっているのです。従って、厳密にいうと、この半島は地下には今でもアクティブな太平洋プレートが、上部は(もう自分では動くことが出来ない、他人に動かされている)太平洋プレートの遺骸が載っているのです。しかし、プレートは境界での他のプレートとの運動の向きの関係で発散型・収束型・トランスフォーム型の3つに分類されるため、北米プレートと太平洋プレートとの境界はカリフォルニア湾の中であり、カリフォルニア半島は太平洋プレートに分類されるのです。
同様な理由で、サンアンドレアス断層の東側は北米プレートですが、西側は(自分が載せてもらっている、地下の)太平洋プレートの動きに翻弄されるため、北米プレート本体(東側)の動きとは別物です。西側にある土地は北米プレートから削ぎ取られて死んだような陸塊で、その動きは太平洋プレートの動きと連動します。したがって、ここでもサンアンドレアス断層が太平洋プレートと北米プレートの境界であり、サンアンドレアス断層の西側は太平洋プレートと呼ぶべきなのです。まあ、ここで断層の西側で、地下の太平洋プレートの上に載っている、元々北米プレートだった土地の遺骸は、ミカサにうなじを削ぎ落された巨人の遺骸のようなものです。デカいだけで、それ自体は動けないのです。
大陸沿岸近くにプレートが沈み込む状態が長期間続くと、大陸の端が(上記のアフリカ地溝帯やカリフォルニア湾のように)割れて地溝帯が出現し、更に時間がたつと海が侵入してくる事があります(以下の図)。このような海をある場所を背弧(Back-arc)と呼びます。その絶好例が日本海です。では日本は?というと、もともと大陸の一部だったので、本州の山脈部とその地下など、その根幹部は厚い花崗岩質の大陸地殻で出来ています。このように、大陸から切り離された大陸地殻の一部は長い年月の間に背弧の拡大により弧状の配置になり、弧状列島(Island Arc)と呼ばれたりします。次週以降に学びますが、弧状列島の両側などには山地などからもたらされた堆積物が溜まりやすく、これを堆積盆地(sedimentary basin)と呼び、背弧側を背弧盆地(back-arc basin)、プレートの沈み込む海溝側を前弧盆地(fore-arc basin)と呼びます(下の図)。
以下は白亜紀までもともと大陸東岸にあった日本(の主要部分)が今から約2500万年前頃(古第三紀の終り・漸新世 ~ 新第三紀の始まり・中新世への過渡期)に大陸から別れはじめ(地溝帯→日本海の誕生)、その後日本海が拡大して現在に至るまでの模式図です。なぜ日本海が拡大したのかについてはいろんな説があるのですが、日本海の 海底縞磁気や海底火山・岩石分布の研究などから、背弧になった場所の下でマントル流動部(アセノスフェア)の一部が上昇し、両側に別れて広がるような対流が生じ(上の図)、この対流により リソスフェアが両側に引き裂かれて地溝帯が形成された、という点では学者さんの多くの考えが一致していますが、まだよく判っていません。(アメリカ西海岸でカリフォルニア湾 や サンアンドレアス断層が形成される際に起こった事件のように)今から約4200万年前に日本海溝に海嶺が沈み込み、それがアセノスフェア中に潜っても両側への拡大を続けていたので、上に載ってるリソスフェアに両側に引き裂かれるような力が加わった、だの、上記の背弧での熱対流を引き起こしただの、昔から いろんな説があります。
以下のビデオの7:41~8:40あたり(再生時間 1分弱)を見ると、日本列島がどのようにして大陸から分離したか(日本海が拡大して出来たか)が説明してあります(高校地学IIに相当しますし、後期の地学概論Bでじっくり学びます)。詳しく知りたい方は、このビデオの全編(三部作のうち、最終章が以下のビデオです)を見ると良く解ります。映像が古いですが、日本の地質、プレートテクトニクス の 基礎が 上手くまとめてあります。
もっと知りたい方はお茶でも飲みながら、以下のビデオを鑑賞すると良いでしょう(アフリカ地溝帯やサンアンドレアス断層の映像も登場します:前篇・後編の2部作で、それぞれ約15分)。
また、上図で海溝の陸側に発達する付加体について知りたい方は、以下の 3分のビデオをみると良いでしょう。地学の教科書・入門書だけでなく、最近 では、(日本政府が予測している)南海トラフ巨大地震や, メタン・ガスハイドレートなど海底資源開発に関するニュース記事などにも よく登場します。
プレートテクト二クスはプレートの動きと、その原動力となるマントル上部(だけと当初は思われていた)マントル対流の動きだけを考えてきましたが、ホットスポットがなぜ(海嶺から離れた場所に)存在するか、など、それだけでは説明できない事例が増えてきました。そこで、プレートテクトニクスだけでなく、これの定常的な動きとは別に、ある時期・あるいは局所的に コアの表面で形成され、そこからマントルの下から上までを突き抜けるように上昇する「プルーム」と呼ばれる巨大物質の動きを考える学者が増えてきました。地球表面や地下のプレート(リソスフェア)の動きや マントル上層部のアセノスフェアの対流だけでなく、地球中心の コアと地表の プレート との間を 直接 行き来する プルームの地球各部に与える影響を考えると、古生代末の火山活動の増加なども、プレートの位置(巨大大陸パンゲアなど)と共に上手く説明する事が出来るからです。プルームの動きは、バーなどでよく見かける Lava Lamp (溶岩ランプ)の中の球状で伸びたり潰れたり形を変化させる液体が温められて上昇し、冷却されて沈んでいくサイクルを繰り返すのに似ています。
欧米だと、プルームを加えた学問も、プレートテクトニクスと呼ぶのですが、日本では地震波のデータやスーパーコンピュータなどを使って プルームの研究が進んでいる事、その提唱者で古生代末の大量絶滅のプルームによる説明でも有名な 丸山先生、磯崎先生が御健在という事もあり、「プルームテクトニクス」と呼ぶ方も多いです。プルームテクトニクスの概念では、コアからマントルを突き抜けてプレート直下へ上昇するプルームの事を(溶岩ランプ内の球状液体のように、温められて上昇するプルームに例えて)ホットプルームと呼び、沈み込み帯からマントル中に潜り込み、沈んでいく(最終的には解けてしまう)プレートの事を(溶岩ランプ中で冷却されて沈んでいくプルームに例えて)コールドプルーム あるいは スラブ と呼んでいます(詳しくは指定教科書のプルームテクトニクスの項を参照)。欧米では ホットプルームの事を単に プルーム と 呼ぶ学者・教科書がまだまだ多いですし、コールドプルームは単に「沈んだプレート(の残骸)」と呼ぶ人が多いです。学者さんの中には、「マントルは上部と下部で不連続であり、対流など別々の動きをしていて、沈んだプレートは途中で溶けて消えたり、マントルの約半分の深さ(先述の不連続面)までしか沈むことが出来ない。」と考えている学者も(国内外共に)結構います。
以下のビデオの10:24~15:52(4分半弱)を観ると、プルームがどのようにして発見されたのか? その正体は?などが視覚的に良く解ります。また、24:55~28:12(3分17秒)を観ると、プルームテクトニクスとは何か?という簡潔明快な まとめが登場し こちらも視覚的に理解しやすいです。
ハワイはホットスポット(プルームが一点状に集中している所)の上に出来た火山です。このホットスポットはコアからマントルを突き抜けてやってくるプルームが形成しており、単純に言うとある地点上に固定されています。この上を海洋プレートが年間に数センチの速さ(人間の手指の爪が伸びる速さ)で移動するのですが、その際に、プレートの下で十分な熱やマグマが溜まり、これがプレートを突き破って地表(海底)に到達すると、火山活動(噴火)が始まり、新しい火山が形成され、地下の熱エネルギーが放出されると、火山活動は終息します。その間にもホットスポットの上の海洋プレートは(ハワイの場合は北西へ)移動していくのですが、またホットスポットと海洋プレートの間に十分な熱やマグマが溜まると、海洋プレートを突き破り、新しい火山が形成されます。これをアニメ化したのが、以下のビデオです。
以下のビデオの 7:28 ~ 8:56(上映時間1分弱) の所を観ると、ホットスポット、プレートの動きとハワイの島々の形成過程が模式的ですがよく解りますよ。
本日の授業のここまでの部分(プレートとは?リソスフェアとアセノスフェアの違いと発見に至るまでの経緯、ウェゲナーから彼の没後のプレートテクトニクス認定に至る経緯、プルームテクトニクスとプレートの動きとの関係)を まず 簡潔・視覚的に理解したいのであれば、NHK Eテレ 高校講座・地学基礎「 第20回 第3編 地球 地球内部の動き 」をご覧になる事をお勧めします。ショート・ケーキを使ったリソスフェアとアセノスフェアの動きの違いのデモンストレーションや、自宅で出きる室内実験が登場し、楽しいです。
まずは第1回の授業の復習から。
以下のビデオの最初から4分07秒の所を観ると、中学理科の復習も兼ねて、火成岩の形成過程や基礎用語(中学で習ったやつ)が解りやすく説明されています。
今日はこれらのうち、鉱物が一番見えやすい(区別しやすい)花崗岩を例にとって鉱物を学びましょう。花崗岩の鉱物は熱いマグマが地下深部でゆっくりと冷える際に結晶が成長して出来たものです(以下のスライド)。これに対し、先週学んだ岩塩や石膏など蒸発岩を作る鉱物は、蒸発により塩(えん)の濃度が濃くなった湖や静かな海岸で、溶解していた物質が沈殿し、その際に結晶が成長して出来たものです(後のスライド中に登場します)。まずは花崗岩中の、マグマ起源の鉱物を観てみましょう。
石英(クオーツ・Quartz)は二酸化ケイ素の結晶で、完璧なほどに純粋だと下の写真(水晶)のように透明ですが、不純物が入り込むとちょっと白っぽく見えたり、いろんな色を示します。上のスライドの石英は茶色がかって居ますが、こんなに汚いのはどちらかというと例外で、普通はもっと透明無色~曇りガラスっぽい半透明の白色です。紅水晶(Rose Quartz) や 紫水晶 (宝石・誕生石の アメシスト)など、不純物が入り込むことによって、綺麗な色を示す物もあります。
この水晶(石英)ですが、以下の SiO4 四面体 を基本的な単位とした分子が規則正しく結合する事によって出来ているのです。磁石がくっつくように、4面体の外側にある4つの酸素原子のそれぞれが、他の4面体の酸素原子と結合する事ができるのです。
その結合の仕方ですが、レゴ・ブロックを重ねるように、いろんなパターンがあります。上記の法則から1つの4面体に対し、最大4つの四面体が結合できる事は容易に想像・理解できますが、四面体という3次元的にいろんな方向に(断面に対して)対称な特徴を持っているために、実は、結合の仕方・幾何学的なパターンにも、平面上、互い置きの重なり方、などいろんなパターンがあるのです。このパターンの違いにより、いろんな鉱物が出来るのですが、SiO4四面体を基礎単位とした鉱物の総称を、ケイ酸塩鉱物と呼び、地殻を作っている鉱物の大半が このケイ酸塩鉱物なのです。以下の表は その分類・例(かんらん石、長石、雲母など)ですが、これらの一つ一つについて、次週以降、ゆっくりと学んでいきます。
SiO4四面体からその多様な結合様式については、以下のビデオの9分37秒以降の所をご覧になると、良く解ります。これらの鉱物の1つ1つについて、来週以降学びますが、先に観ておくと後の理解が だいぶ楽になりますよ。
一方、ケイ酸塩やSiO4四面体が、結晶構造を持った骨格を作れない場合があります。以下の火山ガラス(黒曜石)がその例です。火山ガラスはマグマが特に急激に冷えたために、SiO4四面体が結晶構造を作るように配列する暇がなかったものです。このため、四面体間の隙間は光を通すほどにガラ空きで、見た目も綺麗な反面、しっかりとした構造を持たないために、脆いのです。人工のガラスも、砂などを炉の高熱で熱で溶かしたものを、急冷させて作ります。
教科書では「火山ガラスは結晶構造を持たないので、鉱物ではない。」としていますが、これについては賛否両論ありますので、次週以降の授業で皆で考えながら学びましょう。
ちなみにこの火山ガラス(黒曜石。英語では obsidian)、今でも人気の高い不朽の名作映画「シャーシャンクの空に」の終盤の重要なシーンに登場しますが(主人公が親友に黒曜石を探しに旅をさせますが)、野外でも結構簡単に見つかります。私は伊豆諸島の神津島でよく見つけて居ました。以下の写真はアメリカの黒曜石の露頭の様子ですが、神津島の露頭もこんな感じです。
この黒曜石ですが、薄く割ると切れ味が凄いので、太古の昔から矢じりとして重宝されていました(以下の写真)。縄文時代など先史時代に日本近辺で交易の拠点として栄えた所は、隠岐の島々や神津島など、黒曜石が多量に発掘出来た所です。これは石器時代のヨーロッパや北米でも同じです。黒曜石は今でも手術用のメスなどに使われています。
それでは先週学んだ蒸発岩の結晶構造について、第1回の授業のスライド(堆積岩の定義)の復習も兼ねて観て行きましょう。
中学・高校で習ったと思いますが、岩塩を作る鉱物(いわゆる塩の結晶)は立方形をしています。
これはナトリウムの原子と塩素の原子がイオン結合をするためです(以下のスライド)。SiO4四面体とは異なり、塩の結晶は立方体が上下左右に積み重なるような構造しか持つことが出来ません。
そうやって立方体が成長して出来た塩の結晶が以下の写真。立派な鉱物でしょ?塩と言われなければ、ケイ酸塩鉱物の水晶などに見えてしまいますね。ただし、皆さんは塩は立方体の結晶を作る事を学びましたから、立方体が集合したような外形に気付けば、これがもう、ケイ酸塩鉱物の結晶ではなく、塩(岩塩)の結晶である事を簡単に見抜けると思います。